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    夜の手触り-8

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    今度の夜のシリーズはモノクロを基本に考えている。
     それは夜の光がもたらす色が必ずしも重要ではなく、むしろ不必要と思えることがあるからだが、色の存在がないとうまく表現できない場合もある。
     今回は夜の色で構成してみた。

     
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    はせがわ | URL | 2009.12.13 20:20 | Edit
    自然界には無限に色があり、赤には赤の意味が青には青の意味があるのに、そのすべての色が発する情報を黒と白の諧調の中に閉じ込めてしまうのは非常に勿体ないという意識が私にはあります。
    (と云いつつ時折モノクロ変換して遊んでいますが・・)
    限られたスペースの中に如何に多くの情報(色以外のすべても含めて)を包括出来るかということが私にとっての一つの名代でもあります。
    「テーマは作者が作るものでは無く読者がつくるものだ」と先日テレビの番組で筒井康隆氏が話しているのを聞き、我が意を得た感がありましたが、そのためにも作者は少しでも多くの情報を受け手側に渡すべきだというのが最近の私の考えです。

    1枚目が好きです。
    m_HAL | URL | 2009.12.14 02:04 | Edit
    はせがわさま、いつもありがとうございます。
     確かに無数に色は存在しますが、その全てに意味があるかというと必ずしもそうとは限らないと思います。
    特に夜の場合、光が存在するのは限られた照明の下であり、蛍光灯の色だったりナトリウムライトの色だったりと光源に依存しますが、実際に撮影していると必要なのは光の存在であって色の存在ではないと思える場合もあります。
     また色の情報を黒と白の階調に閉じこめるというより、私の場合は階調に変換するというイメージでそれが勿体ないとは思いません。たとえば、アンセル・アダムスやサルガドの写真をカラーで見たいかというと決してそうではないと思います。
     「テーマは作者が作るものでは無く読者がつくるものだ」という考えはよくわかりますが、写真の場合シャッターを押す時点で被写体を限定しているわけで、そこには撮影者の意図が必ず存在します。少しでも多くの情報を受け手側に渡すという考えには限界があるような気がします。
     私の場合も特にテーマを絞っているわけではありませんが、やはり表現したいイメージというものはあるわけで、それはむしろイメージを提示するに留まると思います。そこにはやはり情報を取捨選択するという行為が発生すると思います。

    以上が、はせがわさんの考えに対する私の意見です。
    はせがわ | URL | 2009.12.14 12:34 | Edit
    おー、さすがHALさん、見事な切り返しで感服致しました。
    少し弁解させて頂くと自然界の色を全部取り込むと云うわけでは無く、自分が撮影した写真という限られたスペースの中にある色は出来るだけ有効利用したいと云う思いがあるだけで、決してモノクロ写真を否定しているわけではありません。
    それに私の場合、ほとんどの写真はカラーでないと成り立たないものが多いのです。

    実は初めのコメントを書きながら偶然にもサルガドの写真を思い浮かべていました。
    で、サルガドがもしカラーフィルムで「アフリカ」や「労働」を撮ったらきっとまた違う美しさを感じる写真集が出来ただろうなと考え、アンセル・アダムスが少し時代を変えて最初にカラーフィルムを手にしていたらどんな写真が出来ただろうかなどと考えています。
    ちなみに現研講師の飯塚さんは7,8回訪れた西アフリカ地方をすべてカラーで撮影し、サルガドのアフリカとはまるで違う明るく美しいアフリカの風景と人物をものにされています。

    テーマに関してはJRP50年来の伝統(?)としてリアリズム写真には必ず何らかの伝えるべき物事が映っていなければならないというのがあり、最近私はそれにたいして大いに疑問を持っているからです。
    HALさんの写真を最初に拝見したとき、いわゆるJRP的で無く、押しつけの無い写真に非常に興味を持ったのですが、HALさんはいつ頃から今のような写真を撮られるようになったのでしょうか?
    m_HAL | URL | 2009.12.15 04:53 | Edit
    はせがわさま、あくまで自分の考えを述べただけなのでどうか気になさらないでください。
    アンセル・アダムスやサルガドがカラーで撮るとしたら別の意味で興味がありますね。

     いつからこんな写真を撮っているかというと、うーん、たぶん始めからです。(笑)
    なぜ写真を始めたか思い出してみると、20年以上前ですが書店で「昭和写真全仕事」という写真家を特集したシリーズをたまたま見つけて、そのなかで奈良原一高の写真を見たのが事の始まりでした。
     当時、写真のことなど何も知らなくて、写真には風景と人物しかないものだと思っていたのですが、世の中にはこういう写真もあるんだと思ったのが写真に興味を持つきっかけでした。そして、1985年の筑波万博と同時期に開催されていた「筑波写真美術館」に写真を見に行ってから一気に写真に対する興味と知識が高まりました。
     それから写真雑誌やら国内外の写真集やら色々と見始めたり、写真展に行くようになって、自分もこんな写真を撮ってみたいと思ったのが、ロバート・フランクの「アメリカ人」でした。ウォーカー・エバンス、リー・フリードランダー、ゲイリー・ウィノグランド、ウィリアム・エグルストン、スティーブン・ショア、ロバート・アダムス、アレック・ソスなどの写真が好きです。あと少し傾向は違いますが、ヨセフ・クーデルカも。

     現研を知ったのは、当時の日本カメラに現研の所長だった田中雅夫氏が連載を持っていて、そのなかにちょくちょく現研の名前が出てきたのと、これもたまたま書店で現研の二期生たちが作った写真集、(たしか「あらくさ」という名前だったような・・。)を見て、それぞれの方が個性的な写真を撮られていたのでこういう学校なら間違いないと判断して、田中雅夫氏の著作を色々読んでいるうちに現研の所在地が分かったので電話して入学して、仕事が終わってから週一回の授業を受けるに至ったわけです。
     JRPを知ったのは現研に入学してからなので、「JRP50年来の伝統(?)としてリアリズム写真」には始めから縁がなかったというところです。こいうことを書くときっとおこられると思うのですが、現研に入学して授業の一環として「視点」を見学にいきましたが、何となく違和感を感じたのを覚えています。
     現研の2年目に金瀬さんと小倉さんが講師になり、自分の写真を理解して下さっていろいろ指導してくれたおかげでいまでも写真を撮り続けていられるのだと思います。この一年間が最も充実していたような気がします。
    以上がわたしのおおまかな写真クロニクル?です。

     現研を辞めてからは写真を撮るペースはだいぶ落ちましたが、デジタルになってブログを始めてからはまたペースアップしています。ブログを通して、はせがわさんと知り合って何故かまたJRPと係わったり、東京塾を見学に行って尾辻さんと再開することになったり、これはもう何かが取り憑いているとしか思えない今日この頃です。
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    現代写真研究所にて写真を学ぶ。
    金瀬 胖 氏の影響を受け現在に至る。

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